忘れられた日本人



勤続30周年

毎日毎日、僕の顔を見る度に「俺はノイローゼだ。会社を辞めたい」と
甘ったれた泣き言を言っていた父親が、勤続30周年を迎えたそうだ。
その記念に会社から腕時計をもらってきた。
弟がまだ、中学生なのであともう少し頑張るつもりだろう。

話はガラッと変わるが、
師匠がいるとはありがたいことだと、ふと思った。
その人の指導や激励によって、ある人の思想や行動規範が形成されたとき、
その人のことを師匠と呼べるのだと、僕は思っている。
僕自身が、基本的に怠惰な人間なので全く説得力のない話になるかもしれないが、
有難いことに、僕には師匠とは呼べる人が何人かいる。

大学のときの指導教官だったT先生は、その師匠の一人だ。
T先生は、ゼミが終わるとほぼ必ずと言っていいほどゼミ生と酒を飲みたがる。
酒の席での先生の振る舞いは豪放磊落とまでは行かないが、教育者としての威厳があった。
それでいて学生の目線での物言いやイデオロギーと言うにはあまりにも中道的な指導は、
僕にとって全人格的な教育を行う教育者のお手本となっている。
今でも僕は、自分の思想(と呼ぶにはあまりにも稚拙だが)をT先生に語ったとしたら
T先生はどのような顔をするか、
もし、認められないとするならそれはなぜなのかと自分自身に問うことがある。

当然、今の指導教官のY先生も師匠だと思っている。
ただ、そのことについては長くなるしここには書かない。

僕は喘息もちで、小さいころ身体が弱かったために毎晩発作を起こす時期があった。
その度に、何時でも車を運転して病院に連れいってくれた母親は当然尊敬すべき人である。
そして、この歳になってやっと、父親も非常にありがたい存在なのだと思うようになった。
というのも、正義心、人の見方、心の温かさ、家族に対する愛情など
数え上げればキリがないほどの僕が「磨いていきたいモノ」のが
父親のもつ「よいところ」なのだと気づいたからである。
僕の父親は、時に傲慢で、支離滅裂で、我侭で、視野が狭くて、頭が固くて、
バカで、お金ことなんか全然考えてなくて、雰囲気を読めなくて、とにかくバカだけど、
それでも尚、超えてゆきたい目標なのだと気づいたのだ。
そういった意味で母親だけでなく父親も師なのだ。

その父親からメールが届いた。渡したいものがあるとのこと。
その時僕は、実家に帰っていたのだが、
近所に住んでいる中学・高校でお世話になった先生の家で、
酒を飲んでいたので、
「酒飲んでるんだから帰れるわけないだろ。空気を読め、バカヤロー!!」
とは言わないまでも、
「ごめん無理」と返事。
そして、酒も話題も体力も尽きた明け方、ふらふらと家に帰ると
歳のせいで朝が早くなった父親が起きてきて、
昨晩僕に渡したかったものを無造作に渡してきた。
「お前も頑張れよ。俺腕時計持ってるからいらないんだ。」と一言。
父親の腕時計は、もうぼろぼろになってるのに。

きっと、
「俺はノイローゼの薬を飲みながら、家族のためにやりたくもない仕事を必死でやってきた。
それがもう30年にもなった。苦しいこともお前たちのために頑張ったんだ。
お前も苦しいことがあるだろう。そのときはこの腕時計を見て俺を思い出してくれ。
俺も頑張れたんだ。お前にできないわけがない。頑張れよ。」
ってゆー感じのことが言いたかったんだろう。
まったく、恩着せがましい師匠である。
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by hikoiti050125 | 2006-12-29 16:27 | 日記
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